世界を救う話はそろそろやめたほうがいいのでは
欧米ゲーム事情では先月、「和製RPGが愛されるのはただの懐古趣味なのか?」という
コラムを紹介した。これを執筆したフリーライター/エディターのジェイソン・
シュライヤー氏は、和製RPGに向けた新たなコラムで「世界を救うお話はそろそろやめに
しては?」と提言している。
大半の和製RPGでは、世界を破滅から救うことが最終的な目的として掲げられていると
指摘するシュライヤー氏。小さなお使いから冒険を始めた弱小な主人公が、英雄として
成長を重ねていくのはたしかに気持ちがいいけれど、さすがにこのパターンは使い古され
ている。大仰な台詞を吐く悪者に超自然現象と、現実味のない展開が続き、世界の住人
たちへの愛着もわかず、感情移入が難しくなっている。
そこでシュライヤー氏が提言するのは、世界の救済ではなく、主人公個人の旅路に着目
すること。個人的なリスクや犠牲、克服すべき障害を増やし、苦闘する主人公の姿に
プレイヤーを共感させることだ。
昨年大ヒットした映画「インセプション」は、アクション満載の映画であると同時に、
レオナルド・ディカプリオ演じる主人公コブが、帰るべき家を見つけるまでの旅路を描く
物語でもある。コブが失敗しても世界は滅びないが、彼の失うものは大きい。だからこそ
観客はコブに感情移入できる。西部開拓時代を舞台にしたRockstar社のゲーム『Red Dead
Redemption』でも、血塗られた過去と決別し、贖罪を求める主人公の痛ましい旅路に
プレイヤーは引きつけられる。寡黙な戦士たちが神に立ち向かう話より、はるかに興味を
そそられるというわけだ。
以上は和製RPGだけでなく、同種の目的をかかげたゲーム全般に向けた批判ととらえる
こともできる。ゲームの物語に魅力を感じてもらうには、大げさな目的はそろそろ掲げ
ないほうがいいのかもしれない。
http://www.gpara.com/kaigainews/eanda/2011110901/